愛する人の臨終に際し後悔しないために
去る5月5日未明、子供の日に父が旅立ちました。
享年88歳。
3年くらい前から間質性肺炎を患い、胸部大動脈瘤に小さな脳梗塞など、最期は複数の病のミックスでした。
84歳の時は私と二人でイタリア旅行を楽しんだくらい元気でしたが、最期の数年は寝たきりになりました。
本人も歯痒い思いだったでしょう。
苦しみから解放され、正直今はホッとしています。
死の前の数日間、病床の父とたくさんの時間を過ごしました。
「今、父に何がやってあげられるだろう?」と自分なりに考えました。
いろいろと工夫した中で、やってあげられて本当に良かったと思うこと、
愛する人が亡くなった悲しみも初七日を過ぎてようやく一段落しましたので、備忘録的にまとめておきます。
① 手を握る
ベッドでほとんど起き上がれない人を上から見下ろすだけというのはあまりに残酷です。
苦しい、痛い、辛い、そんなときは手をさすってあげましょう。
人の肌のぬくもりはオキシトシンという鎮痛ホルモンを作ります。
最期の数日間、死への恐怖からか、父は暴力的な態度になりました。
幻覚もありました。
真っ白な病院の壁を見て「テレビがうるさい、消せ」と言ったり、「うるさい、黙れ」と母へ暴言を吐いたり。
そんなときはすぐに手や足をさすりました。
病室にいるときはずっと手を握ってあげました。
すでに握り返す力はほとんど残っていませんでしたが、父は涙を流して喜んでくれました。
父と手をつなぐなど、幼少期以来の40数年ぶり??でしょうか。
すでに記憶すらありません。
お見舞いに来た孫(高校生男子)にも手を握ってあげてもらいました。
欧米人ではありませんから、さすがにキスはしませんでしたが、スリスリとほほを合わせてみたりもしました。
とても穏やかで満足げな父の表情を見て、今まで一緒にいてくれた愛情の恩返しができたように思います。
スキンシップによる鎮痛、安心感の効果など、分子栄養学に出会っていなければ知ることはなかったと思います。
願わくば、もっと元気な時にたくさんハグしたりスキンシップをしておくべきでしたが、
それでも死の世界へ旅立つ前にずっと手を握っていられたことは、私自身にとっても満足で充実した時間となりました。
② マナー、エチケット、羞恥心を大切にする
最期の数か月はほぼ寝たきりとなり、排泄も寝がえりもすべて看護士のお世話になりましたが、排泄の時は必ずその場を外すようにしました。
おむつを交換する際は、必ず「部屋の外にいるからね、終わったら教えてねー」と言って実際に外へ出ました。
死の数日前、顔を拭き、父の眉毛を整え、鼻毛を切りました。
見た目や清潔感、本人が見られたら恥ずかしいだろうと思うことは絶対しないように気を配りました。
これは祖母の時の反省からきています。
亡くなる前の数年間、祖母はほぼ寝たきりとなり、特別養護老人ホームにお世話になりました。
お見舞いに行ってもほとんど表情も変えませんでしたから、
もう意識はないと家族のだれもが信じて疑わなかったのですが、
ある日、久しぶりに車いすで外出した際、エレベーターにある大きな鏡に映った自分の姿にショックを受けて、
そこから数日間は食事と薬を拒否しはじめました。
自発的飲食中止(VSED、voluntarily stopping eating and drinking)です。
祖母は表千家のお茶の師匠で、休日でもスカーフをしているようなおしゃれな人でした。
祖母は自分の醜い姿にショックを受けて、飲食と薬を拒否することで尊厳死を望んでいることは明確でした。
もう意識はない、ボケていると思うのは家族の思い込みです。
寝たきりだろうが、死の寸前にある老人だろうが、見た目やエチケットは大切にしてあげようと心に決めました。
③ 好きなものを食べさせる
最期の数日間、父はお粥をスプーンに1杯程度しか食べなくなりました。
こんなに骨と皮だけになっても人間はこれだけ生きられるんだ、と不思議に思うくらい。
死の1週間前、東京から着いてすぐの私に父が言ったこ言葉は、
「ニンニクが食べたい・・」
父は叔父の作った手作り黒ニンニクを食べるのが習慣になっていました。
炊飯器で手作りするんですよ、黒ニンニク。
匂いが無くてほんのり甘味があっておいしいのです。
しかし、、医師も母も大反対。
母 「ここ数日、お粥しか食べてない。刺激が強すぎ」
主治医 「きついステロイドを打っているので免疫が低下しています。感染症のリスクがある。家庭から持ち込んだものは食べさせないでほしい。」
結局、電子レンジで少しだけチンして殺菌したものをすぐに食べてもらうことで医師の了承を得ました。
ほんの少量ということで母にも納得してもらい、黒ニンニクを1個食べてもらいました。
黒ニンニクを食べさせると、父の目がキラッと輝き「美味しい」と目で教えてくれました。
これには賛否両論ありましょうが、あの時黒ニンニクを食べさせていなかったらずっと後悔していたかもしれません。
自己満足とはいえ良い選択だったと思います。
父の死に際し思うこと
大きな公立病院の薬剤師として長年勤務し、病で死にゆく人々を医師とはまた違った視点で眺めていた父には独特の生死観がありました。
「宇宙の歴史に比べたら人間の命の長短など目くそ鼻くそ」
「人は病気で死ぬにあらず、寿命で死ぬ」
「70歳まで生きたら十分、あとはオマケ」
どれも父の口癖です。
人間だれでも必ず死ぬとはいえ、いざその時になったら事前に考えていたような対応が出来るとは限りませんが、
ちゃんと死について考え、心の準備をしておくことは無駄ではありません。
生死観も見送る立場も人それぞれだと思いますが、ご参考になれば幸いです。
***おまけ***
以下、父のとの思い出。
3年前は「なんでも鑑定団」に出た。この頃はまさか3年後に逝っちゃうとは思わなんだ。
5年前にはイタリア旅行に連れていけと言われて、海外の嫌いな母の代わりに同伴。
もちろん留学先のオーストラリアにも遊びに来た。
4年前はハウステンボスにも行ったなあ。
父があの世へ旅立つに際し、私があまり後悔がないのは
こうやって晩年にたくさん遊んだせいだと思います。
旅行はいいですね。
この世での良い思い出になるので悔いが残りません。
お金はあの世でもって行けませんから、使うだけ使っちゃった方が良いと思います。
父の葬儀はフルートの生演奏とか、思い出のビデオ上映とか、かなり盛大なもので総額250万くらいかかりました。
ということは葬儀代として200万程度残したらあとは上手いこと生きてるうちに使い切るのが理想だと思います。
母にも、お金は生きているうちに使い切ってもらおうと思います。