モノに対する執着がどんどん消えていってる。
「精神的に満たされると、物欲がなくなる」と言えば、悟りを開いたようでえらいカッコいいのだが、ここ数年でモノに対する価値観が変わってしまった。
例えば、バブル時代に買った高級時計とアクセサリー
あの当時は普通の女子の腕時計がブルガリやエルメスでも珍しくはない時代だったしね
私も海外に行けば円高ヒャッホー♪、観光そっちのけで「一生モノ」「自分にご褒美」というマスコミ用語に踊らされて、ブランド品を手に入れては悦に入っていた。
カシミヤのコートやブランドバッグはほとんど処分したけど、アクセサリーや時計は邪魔にならないからと、そのまま所有を続けていた。
でも最近、モノそのものというより、存在自体が邪魔だなと思い始めていた。
使わないモノ、自分で管理できないモノ、把握していないモノ、それらは全部生活のノイズなんだよね
自分の人生という音楽をノイズだらけの雑音にするのか、交響曲と呼ばれる作品にするのか。
自分に必要なモノとそうでないモノを区別も出来ない
「これ高かったから」という価値観だけでモノを所有するという無粋さが、なーんとなく嫌だなあと前々から思っていたので、年末の休暇を利用して売りさばいてきた。
銀座にあるブランドの有名買取ショップ
綺麗なお姉さんが査定中。
お店のお姉さんは「こちらでなんとかお売り頂けないでしょうか・・」とえらい謙虚。
だけどびっくり
なんと購入価格とほとんど変わり無い値段がついてしまった。いやむしろ高いよ・・
そりゃそうだ。当時のレートは1ドル80円、今は120円。おそるべし円高
ちなみに中国人観光客のおかげで銀座は飛ぶようにブランド品が売れているらしく、本店で売り切れの場合はこのブランド中古店に探しにくるらしい(店員さん談)
デフレですっかりショボくなった日本の消費を押し上げてくれる中国人。なんとありがたいことか。
調子に乗って、後日貴金属類も全部断捨離。
イニシャル入りの指輪とか片方だけのピアスとか。ヤフオクでも売れないような代物が結構なお値段になった。
そう、金など資源の価格も当時からおよそ倍のレートになっている。
にわか投機のブローカー気分であった・・
もともと最近は全く使わなかったモノなので、もし無くなっても分からないくらいの存在になっていたので、断捨離したからスッキリという感じでもない
それにしても、これを’一生モノ’なんて本気で思ってた自分の幼稚さが、若さでもあり、恥ずかしくもあり。
必要なモノだけに囲まれてシンプルに生きる、そんなスピリッツを実行出来てる最近の自分がすごく好き。
理想的にはトランク一つでどこでもいつでも不自由なく生活できる、それくらいの身軽さを目指したい。
一生モノは、健康な身体。それから毎日の笑顔と愛情と思いやり。
こういうことを心底思える自分になるとは。私も歳をとったなあ。。