過食行動の背景にある「不安感」
お腹がすくと不安になります。
これはごく自然な生理反応。
空腹が続けば死を意味します。
不安感を発動して、獲物を捕りに行く前段階を準備するのです。
獲物を得て、食糧を確保すると不安感が無くなります。
「食べること=不安感がなくなる行為」とインプットしていると、無意識に、必要以上に食べてしまいます。
もはや、空腹のためではなく、不安感から逃げるために食べているのです。
動物にとって、最も不安感が強くなるのはいつ?
それは暗闇。つまり日暮れから夜にかけて。
不安感から逃れるための過食は、夜に起こるのがテンプレートですね。
自分が何に対して不安を感じているのか?
”自分の将来に対する不安感”
”社会に適合できない不安感”
”お金に対する不安感”
掘り下げると、さまざまな不安感が噴出します。
不安感という感情の目的を言語化すると、不安感に向き合うことが出来るので、必要以上に食べることはしなくなります。
「痩せたい」という欲求の前提が「自分が嫌い」
「痩せたいです」という言語は、あくまで表面上のもので、その言語の心理的背景を別に存在します。
たいていのケースで、「痩せたい」という表現は、
「今の自分が嫌」
「自分と他者を比べている」
「今の自分でない、何か別のどこかに行きたい」
という背景があります。
この場合「何のために痩せたいのか?」、痩せる目的を聞くとほぼ100%言語化できません。
副腎疲労や症状を抱えた方が、「何のために治療するのか?」という目的が持っていないのと、全く同じ構造です。
脳は「前提」を現実化します。
「痩せたい」と強く願えば願うほど、「痩せてない(=太っている)自分」という前提が必要なので、それが現実化されます。
「病気・症状を治したい」と強く願っている人が、「病気である」前提を現実化するように。
もし「痩せたい」という感情の前提にあるものが、自分への低評価だったり、他者との比較だったりしたら、食事の調整以前にやることがあります。
まずは、自分で自分を好きになること、健全な自己評価を育むこと。
「痩せていようが、太っていようが、自分自身は唯一無二の美しい存在」という、自分自身に対する美学が育つと、必要以上に食べることもなく、粗雑なものは口に入れなくなるので、自然に痩せていく方が多いです。
そして、痩せる”目的”を持つ。
目的地なしにカーナビは設定できません。
痩せるというのは、ただの手段。
手段を目的化すると「一生ダイエットし続ける人生」が待っていますよ。
「痩せたい」という相談
ほとんどのケースで「痩せたい」というご相談者は、実はたいして太っていません。
ほぼ標準体重という方ばかりです。
なのに、なぜ「痩せたい」と願うのか。
掘り下げると、副腎疲労の治療とほぼ同じ心理的背景があることに気付きました。
症例を多く経験すると、これからさらに増えていくかもしれないけど、とりあえず現時点でのパターン2つを記録しておきます。